

せっかく頑張り始めたリハビリだが、その後8月前半の約半月、美樹にとっては体感的に一番最悪な状態になってしまった。高熱がいよいよ猛威をふるい、38度〜39度から下がらない。手術後はいろいろな菌による感染症に悩まされたが、今度のはその原因も不明だ。どこからも、何の菌も見つからない。あらゆる抗生剤を試すしか方法が無い。複視、耳や鼻の閉そく感、全身のかぶれ(風呂にも入れない。看護婦さんが一生懸命体を拭いてくれるのだが・・・)、相変わらずの、呼吸器とのバッティング、そして不眠。またほぼ寝たきりだ。
熱が38度5分を超えると、座薬を入れてもらう。しばらくすると、パジャマが絞れるくらいに大量の汗をかく。一時的に少し熱は下がるが、そのたびに体を拭いて着替えさせてもらうので、体力は奪われていく。脱水症状も激しい。喉が渇いても、水を飲むことができない。どうしても耐えられない時は、ナースステーションで綺麗な氷をもらって、唇と舌をぬらして凌ぐ。
もちろんこの程度では乾きは癒されない。しかし、水分を多くふくんでしまうと、首に開いた気管切開の穴から外にもれてしまうのだ。胃まで届かずに肺に入るのも気を付けなければならない。気休めにもならずにかわいそうだが仕方ない。
僕にできる事は、額やわきの下を冷やすアイスノンを換えてやること、口元に持っていく氷のかけらを、落とさないように持っておくこと、かぶれてかゆい所をかいてやること、体位変換してやること、何らかの意思表示を見逃さないこと。・・・と書くと、献身的な看病をしているようにも見えるが、実際は、他にもっとできる事は無いのかなと、結構情けなく思ったものだった。

本人にとっては、この8月の前半が一番苦しい時期だった。しかし、その原因として、寝たきりの重症状態から少しずつではあるが回復して来ているから、というのもある。手術前の、苦痛の全部までは感じることができないという状態から、徐々に自分の体に起こっている事を自分で感じ取れるようになった事で、苦痛をダイレクトに体感できるまでに回復した、という事だ(ややこしい話だが)。呼吸器とのバッティングも増すばかり、でも、これが回復の証でもある。とにかくここが正念場だ。
気力で闘う毎日。ここで、そろそろ拓馬(息子)を連れてくるか!という事になった。
そうそう、その前に、これまでの息子や親戚一同の、それぞれの話を少し。5月7日に拓馬が生まれ、5月27日から美樹は入院してしまった。その間、平日は美樹の姉家族、週末は僕の母が拓馬の面倒を見てくれていた。美樹の付き添いは、昼間は美樹のお母さん、夕方から朝は僕。美樹のお父さんは週末以外は東京で仕事、僕の父(ウチの保険代理店の社長)は僕の仕事もフォロー。身内のチームワークで何とかこなしていた。僕は日中は可能な限りお客さんの所へ出かけ、事務仕事は病院でしていた。1〜2週間に一度自宅に立ち寄り、郵便物のチェック。そして定期的に拓馬を健診や予防接種に連れて行った。
ついでにもう一つ。人工呼吸器管理以降、喋ることができない美樹の意思表示法は、いろいろ試してみたが、僕の手のひらに指で文字を書くことが一番負担のかからない方法だった。


8月16日、ウチの母が拓馬を病院に連れてきた。美樹のお母さんも病室で迎える。美樹と拓馬は、入院以来約3ヶ月ぶりの再会だ。ベッドを起こし、体のあちこちに繋がれた点滴や心電図の管が邪魔にならないようによける。呼吸器は、短時間なら外せられるようになっていた。美樹のひざに拓馬を乗せる。まだ腕で抱っこする力は無い。もちろん声をかけることもできない。落とさないように、体とひざで拓馬を抱える。病室が笑顔と感極まった涙につつまれる。
(僕は泣いてないですヨ。正直、まだまだこれからだし。3ヶ月ちょいの息子は、きょとん。でも笑ってました。泣きださなくてよかった。つかの間の安堵感。)

8月後半、本人の生きる力が、いろいろな苦痛に対して勝ち始めたようだ。体力が回復するにつれて、熱も37度〜37度5分の間で落ち着いてきた。積極的にベッドを起こし、ついには車椅子に座ることにも成功(自分では乗れないが)。この病院に来て2ヶ月、初めて自分の目で見る病棟の廊下。この年齢で長期入院、人工呼吸器管理の重症患者となると、他の病室の患者さんや付き添いの方の間でも知られており、予想外にいろいろな人が喜んでくれた。ほんと、以外だった。今まで本人は当然ながら、僕も周りが見えて無かったんやなぁ・・・
8月22日、病院内のリハビリセンターで歩行練習も始めた。平行棒につかまりながら歩いた、たったの10歩。フラフラのガクガクだが、感無量である。

8月27日、ついに人工呼吸器を外せる時が来た。カニューレ(人工呼吸器を繋ぐために、気管切開部分に差し込んだアダプターのような物)を、喋れるタイプの物に交換。そう、6月21日に救命救急センターで呼吸器管理になって以来、再び声が出せるようになったのである。声を出すには、カニューレの先の穴を指で塞がなければならない。本人、恐る恐る声をだす。「何か違う。こんな声やった?」と、どうも違和感があるようだ。いやいや、間違いなく美樹の声だ。小さいが、しっかり聞こえる。おめでとう。集まった先生や看護婦さんたちも、とても喜んでくれた。ありがとうございます。2〜3日呼吸器無しで様子を見たが問題なし。病室から大きな人工呼吸器が撤去された。この部屋って、こんなに広かったのか。
呼吸器を完全に外した翌日には、小さなプリンを口にして自分で飲み込む練習。何とかOK。美味しい、と嬉しそうだ。これまでの2ヶ月は、点滴と鼻にさしたチューブからミルクを流し込んでの栄養補給だった。その次の日には、待ちに待ったお風呂。これも2ヶ月ぶりだ。この病院のお風呂というのがすごくて、何と車椅子のまま湯船に入れてしまう。看護婦さんにシャワーで洗ってもらった後、空の、ちょうど水槽のようなスペースに移動。そしてそこに一気にお湯がたまっていく。驚いた。
寝たきりから比べると、格段の進歩だ。そして、ようやく重症筋無力症の治療に入れる事になった。(本当は手術後なるべく早い段階で次の治療に進みたかったが、1ヶ月以上、別の闘いをしていたということになる。根本的な治療はまだまだこれからだ。)
手術後の、次の根本的な治療はステロイド剤の大量投与だ。
ようやくここまで書けた。
苦痛のピークを乗りきり、やっと次の段階へ進めることになりました。入院はまだまだ続きます。前進したり後退したり。でも少しずつ良くなっていきました。 |
2003.8 NIKKI
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