

7月に入った。人工呼吸器に繋がれ、体を動かすこともできず、話もできず、自分で飲み食いもできないまま辛い日々が続く。少しは下がったが、相変わらず熱もある。毎日が苦痛の連続だが、自発呼吸(呼吸器に頼らない、自分でする本来の呼吸)が少し戻ってきたので、呼吸器の設定を機械任せから自発呼吸メインの設定に変えてもらう。うとうとしている時もだいたい自分で呼吸できているようだ。(完全に眠っているときは機械任せになる)
7月3日に、自発呼吸の状態を見るために思い切って口から挿管しているチューブを抜いてもらった。しかし、それも1時間ほどで限界。呼気中の二酸化炭素濃度が上昇し、再び挿管。つかの間の気分転換に終わってしまった。また、左側の肺が痛むと訴えるので、レントゲンを撮ってみると痰がつまって肺がペシャンコに潰れていた。念入りな吸引と、体位変換をしょっちゅうする事で治ったが、痰には要注意である。なかなか眠れないのも相変わらずで、夜は睡眠薬を多めに点滴してもらう。この病気に睡眠薬の類はあまり良くないとの事だが、仕方ない。
もうすぐ手術だ。この病気は、美樹のように重症な例だと、胸の真ん中、胸骨の裏あたりにある「胸腺」(きょうせん)という臓器に腫瘍ができ、この胸腺腫で病気のおおもととなる悪い抗体(抗アセチルコリンレセプター抗体という)が産生されているという特徴がある。(胸腺に腫瘍ができていないケースもある)ということで、この胸腺種を外科手術で取り除くことがまず根本的な治療になる。
胸をばっくり切開する手術なので、本来は自発呼吸ができて、熱もさがった状態で手術するのが望ましいが、美樹の場合はそうも言っておれず(このまま待っていても、良い状態になる兆しが無い)、手術は8日に決まった。6日の日に、執刀医や麻酔科の先生や、手術後しばらくお世話になるICU(集中治療室)の看護婦さんの説明を受けた。いよいよだ・・・

7月8日、朝8時、美樹は手術室へ入って行った。麻酔に1時間ほどかけるらしい。病棟の看護婦さんも励ましてくれる。頑張ってくれ。こっちは腰をすえて待つのみである。
当初3時間ほどで終わるだろうと聞かされていたが、美樹が手術室から出てきたのは午後3時半頃。結局手術には5時間半もかかった。待っている時間は途方もなく長かったが、心配はしていなかった。もちろん手術は成功。弱々しく縮こまって、まだ眠っているような美樹に声をかけると、意識朦朧としながらも反応を示した。ああ良かった。
執刀医の先生の話によると、胸腺腫はとても大きく、まわりの血管などにひどく癒着していて取るのに時間がかかった、大きさからして、少なくとも10年ぐらい前から腫瘍ができ始めていたのではないか、との事だった。付き合って10年以上経つが、病気の自覚症状、他覚症状ともに全く無かったのが不思議だ。また、女性ということで最後縫合する際に、形成外科の先生が念入りに縫ってくれた事も、時間がかかった理由だった。実際、これを書いている今現在、傷口はよーく見ないと分からないくらいの薄い一本線があるだけだ。医療技術ってすごい。感謝です。
手術は無事終わったが、美樹自身が楽になることは無かった。(これは分かっていた事だが)むしろここから本当の苦痛が始まったと言える。これまでもいい加減苦しかったのに・・・

これからしばらくはICUで術後の管理をしてもらう事になる。ICUは付き添いで泊まる事はできないので、日中の面会時間に会いに行った。1日2回ペースだ。ただでさえ体力が低下している中での手術だったので、その後さまざまな問題が出るわ出るわ・・・
・胸の傷がひどく痛む
・血圧が低く、血も薄い→鉄分を点滴したり、輸血したり
・痰も多いので、気管支鏡を使って肺まで掃除。痛くて辛い
・一時的に病気の抗体値も上昇(悪化)
・熱も上がり、異常に寒がる(真夏なのに・・・)
・弱っている体に、たたみかけるように様々な菌による感染症が襲う
・口から挿管しているチューブの苦痛
・相変わらずの眠れない苦痛
などなど、体も精神的にもボロボロだ。また、呼吸についても自発呼吸がしっかりできる時とできない時の波があり、機械の設定と自分の呼吸がぶつかって苦しむ。このような状況でも、家族に対しては気丈に頑張っていた美樹だが、ついに「もうゲンカイ」と訴える。何とかなりませんか先生〜。美樹の、体感的な苦痛だけでも軽減されないものか・・・こっちもさすがに滅入ってくる。

手術から1週間後の7月15日、ICUから胸部外科の病棟へ移った。(手術前にいたのは神経内科の病棟だが、引き続き術後管理をするためにまずは胸部外科へ。付き添いで病室に泊まるのも再開)今の一番の悩みは、高熱と、呼吸器のチューブ挿管でがっちり固定された口、そして呼吸器と自分の呼吸とのバッティングだ。昼も夜も苦痛で眠れない。
呼吸器については、入院当初から、口からの挿管よりも体感的に楽な気管切開(首に穴を開けて、そこから食道に直接チューブを挿管する)に移すタイミングを探していたが、ようやくできる段階にきた。7月19日、気管切開の処置。7月20日、海の日。イベント好きな我が家では、海の日は海で過ごそう!というのが恒例なのだが、この日の美樹はもう意思表示もできない状態だった。

7月24日、胸部外科から神経内科の病棟に戻った。38度以上の高熱が続く。睡眠薬を使ってもなかなか寝られない。しかし、少しずつではあるが自発呼吸が強くなってきた。これが生命力なのだろうか。苦痛は軽減しないが、このころからベッドのリクライニングを起こして歯を磨いたり、気分転換にリゾートの写真が載っている雑誌を眺めたり、積極的に寝たきりから脱出しようとする。歯ブラシ1本でも、両手でほんのわずかな時間持っていられるだけという重労働だ。ぶくぶくと口を動かしてうがいする力はまだ無い。また、目に力が入らないのでピントを合わすことが難しく、本も長い時間は見ていられない。(これもこの病気の特徴で、複視という)
| はぁ〜、読むの疲れるでしょう。書いてるのもしんどいです。この時期の事は。回復の兆しも見え始めましたが、本人の体感的な苦痛は更に深みにはまってしまいます。でも、8月後半、ようやく、やっと・・・ |
2003.8 NIKKI
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