

「奥さんの容態が悪くなりましたので、来ていただけますでしょうか」
平成14年の6月15日早朝5時ごろ、自宅にいた僕の携帯に病院から電話がかかってきた。
「はい、すぐ行きます」
どこがどう悪くなったのか?などと聞く気にはならなかった。とっさに、そんなことを聞いているヒマなどない、と感じた。一言で電話を切り、車のキーを取りながら美樹の実家(自宅からは車で5分ほど)に電話を入れた。
「今病院から電話があって、美樹の状態が悪いらしい。
行ける?いまから迎えに行くわ!」
この時点では、美樹がどうなっているのか全く分からない。とにかく駆けつけることが先だ。が、美樹の両親が慌てて運転してくるよりは、自分が運転した方が良いだろう。とにかく落ち着いて。でも全速力で。自分に言い聞かせながらクルマを発進させた。
そこへまた病院から電話が来た。
「奥さん、持ち直されました。どうぞ慌てずに来てください。」
へ?何がなんだか分からないが、
僕 「わかりました。で、どうなったんですか?」
病院 「呼吸困難に陥ったんですが、今は持ち直して意識も有ります」
なんですと!!??
全く予想外の出来事で、とにかく驚いた。ホッとする間も無く、急に緊張感が増してきた。何でそんなエライ事になってんの?ちょっと体調崩しただけだったのに・・・
ここから、年末までの長い期間、苦しい闘いが始まるのだった。

平成14年5月7日の昼に、長男が生まれた。3250グラムの元気な男の子だった。その後も母子ともに元気で、やれやれと落ちついてきた5月末頃、美樹が高熱に襲われた。それでも息子の世話を頑張ろうとするが、明らかにしんどそう。おかしい。2〜3日様子を見るが、調子はどんどん悪くなる。これはマズイやろ、と近くの病院に連れて行った。
そして即入院。その後わずか何日かの間に、病室や風呂で転ぶ、自分で頭が洗えない、公衆電話の受話器を元の場所に戻せない、寝た状態からなかなか体を起こせない・・・などの症状が現れ、何だろうな〜?不思議やな〜?と言っているうちに、呼吸困難まで起こしてしまったのだ。
入院当初からいろいろな検査もしていたので、順次出てくる結果や症状から、これは「重症筋無力症」ではないか・・・と見る先生の見解と、症状が一気に進んでいくのが同時進行だった。
「重症筋無力症」。始めて聞く病名だ。しかし、どんな病気なのか詳しく調べるよりも、状態がどんどん悪くなっていき、苦しそうな美樹に付き添うことが先決だった。呼吸する力が弱いので、血液中の二酸化炭素値が上昇し、意識も朦朧としてくる。鼻にチューブをあてがう酸素補助程度では追いつかないため、マスク型の呼吸補助器を使うが、これは鼻と口を覆って強制的に酸素を送り込むのでとても苦しいようだ。美樹はかぼそい声で、
「もうしんどい、もういい、苦しいから外して・・・」
と泣く。自分の手でマスクを外そうとするので、仕方なく力ずくで押さえ込む。
「我慢せぇ!これが無いともっとしんどいぞ。すぐ慣れるから我慢せぇ」
先生早くなんとかしてくれー!!何なんだこの修羅場は。弱りきった嫁さんを、根拠の無い言葉と力で押さえつけるやりきれなさ。一体これからどうなってしまうのだろう・・・

今、優先すべきは呼吸の管理だ。そのためには人工呼吸器が必要になる。しかし今の病院では「重症筋無力症」をトータルで治療するには難しいので、専門の治療ができる他の病院の手配について先生と話し合う。病気についても詳しく聞いた。
「重症筋無力症」とは、簡単に言うと筋肉を動かせという脳の命令によって神経から放出される物質を、筋肉に伝える段階で筋肉に届かないように邪魔をするという、悪い抗体(免疫)が体のなかに居座っている病気だ。(う〜ん、簡単すぎ)比較的症状が軽いケースでは、腕が上がらない、瞼が開けられない、または閉じられないなどの症状があるが、美樹の場合は呼吸筋および全身の筋肉の働きを邪魔されるという、この病気の中でも最も悪いケースにあてはまる。また、この病気は筋肉自体が悪くなっているわけではないので、しばらく休めば回復するという特徴もある。
いよいよ呼吸状態は悪くなり、手足も動かしにくくなってきた。他の病院の手配はまだ済んでいないが、もうこの病院では管理ができなくなってきたので、救命救急センターへ受け入れを求め、先生も付き添って搬送する事になった。6月18日夜の事だった。

救命救急センターでの処置が終わり、面会すると、まだ人工呼吸器は着けられていなかった。しっかりした自発呼吸が戻っているので、このまま様子をみましょうという事だ。ひとまずは安心したが・・・
結局18日にセンターに搬送して、20日には元の病院に戻されてしまった。急を要する状態は脱しているので、お帰りくださいという訳だ。確かに美樹は落ち着いており、それは良かったのだが、元の病院の先生は
「なんですぐに戻すんだ。こんなに重大な病気なのに・・・」
と嘆く。これは僕も同じ気持ちだった。実際、センターでは、「重症筋無力症」の可能性が非常に高い、という事についてもどうも否定的というか、楽観的に見ているように思えたのだ。確かに病気を確定するためにはそれなりの検査が必要で、結果が出るには時間がかかるが、ここまでの経緯から、この病気で有る事はほぼ間違いないのに・・・
案の定、元の病院に戻った次の日、21日の朝には再び呼吸困難に陥り、なんとか蘇生するも、夕方にまた呼吸困難を引き起こした。これまでで最悪の状態だった。
実はこの日僕は、朝から美樹のレントゲン写真や先生に書いてもらった紹介状を持って、他の病院に出かけていた。入院と治療をお願いするためだ。ここはいつも混んでいる病院で、なかなか入院することができないが、神経内科の部長先生が、事の重大さからすぐに手配をかけてくれた。が、やはりベッドに空きが無い。美樹の場合は人工呼吸器管理が前提になるため、個室が必要なのだ。
とりあえず、現在の状況を直接聞いてみようと、部長先生が元の病院に電話をかけた所、またひどい呼吸困難に陥ったため、先生付き添いで救命救急センターに搬送されました、との事だった。

救命センターに行ったのなら、とりあえず命は安心だろう。個室を手配する時間も稼げる。という事で、僕はすぐにセンターに向かった。センターの先生には、「次の病院のベッドが空くまで、今度はちゃんとそこで見ておいてくれよ!」というつもりだ。
しかしセンターに到着し、美樹の所へ行くと、既に人工呼吸器がベッドの横に置かれ、口からチューブが挿管されていた。腕にも多数の点滴の針がさされ、がんじがらめだった。
先に着いていた美樹の両親と僕で、ベッドを取り囲む。美樹はもう喋ることができない。おびえているように見えるが、大丈夫だとジェスチャーで示してくる。最初の呼吸困難からここまで1週間、苦しいのによく頑張った。熱は下がらず、ろくに眠れず、疲労こんぱいで、体は完全にグロッキー。体中、管だらけの痛々しい姿になってしまったが、息苦しさからは開放された。自分に何が起こっているのかよく分からないだろうが、とにかく今日は休んでくれ。呼吸は機械に任せられるので、薬で眠らせてもらった。(結局よく眠れなかったらしいが・・・)

2回目の救命センター入院から4日後、6月24日にこれから世話になる病院のベッドが空き、チューブを気管内挿管したまま転院した。個室に入り、主治医(K先生)がまず人工呼吸器の調整をしてくれた後、挨拶。今後の治療方針の説明を受けた。話を聞けば聞くほど、大変な病気だと思い知らされる。それでも、治療に専念できる体制が取れたことに少しだけホッとした。美樹が苦しい事に変わりはないのだが・・・。この日から僕も病室に寝泊りすることにした。
翌25日より、さっそくできる治療から始まった。
まずは「血漿吸着」(けっしょうきゅうちゃく)という治療で、これは血液を体の外で装置に循環させる事により、血漿の中の病因物質を取り除こうという対症療法(根本的な治療ではないが、症状を軽減させる効果が有る)だ。足の付け根に太い管を通し、3時間ほどじーっとしていないといけない。(既にほとんど体は動かないが)これを日を替えて何回か繰り返す。管がささっている所はやはり痛いらしい。本人、我慢、我慢である。
人工呼吸器のチューブを口から挿管していると、のどに痰がたまってむせるので、定期的に看護婦さんに吸引してもらわないといけない。これが最初は見ているのも辛かった。本人も苦しいようで、なかなか慣れる事ができない。痰が多くて30分間隔で吸引してもらうような時は、吸引のカテーテル(細い管)が喉に当たるたびに痛さと苦しさで大変だ。
6月27日、口からチューブを挿管して1週間。くちびるが器具とテープでがっちり固定されて痛むという事で、鼻から挿管するタイプを試してみるが、よけいに苦痛だったようですぐに元に戻してもらった。これらの作業ひとつひとつが、ただでさえ弱っている美樹の体に更に追い討ちをかけ、ますます体力を奪っていく。いよいよ自分で体を動かすことができなくなってきた。
体は弱っているが、なかなか眠ることもできない。この眠れないという問題も深刻で、強めの安定剤や麻酔薬を点滴しても、すぐに目覚めてしまったり、目覚めても薬の影響で意識がボーっとしていたり。美樹が眠れないと、付き添っている僕も眠れない。不安がるし、吸引や体位の変換(肺に痰がたまらないように、また床ズレを防止するために定期的に体位を変えないといけないが、もう自分で寝返りもうてない)も必要だ。もちろん看護婦さんもマメにしてくれるが、できる事はなるべくやってやりたい。栄養ドリンクを飲みまくる日々がしばらく続いた。
来月には、胸の外科手術が控えている。
ふぃ〜。まずはここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございます。最初のひと月でこんなに長くなってしまった・・・
この先どうなることやらですが、本当の苦痛はこれからだったのです。結構重い、暗い内容ですが、どうぞ読んでやってください。 |
2003.7 NIKKI
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